こんにちは。柏の葉税理士事務所の徳田大輔です。
今回は自己紹介がてら、プロレスの想い出について書きます。
税理士事務所とは全く関係ない内容となりますが、ご了承ください。
20代の頃、割と熱心なプロレスファンでした。週刊誌を購読し、足繫くプロレス会場に通っていました。勤務先でオジサン方から「プロレスって、八百長だろ?」というステレオタイプな揶揄を受ける度に、「あの鍛えられた肉体、練り上げられた技、相手の技を正面から受け止める凄みはホンモノです!!」と必死に説明を試みたものです。
そんな私も、総合格闘技の道場に通って「真剣勝負」を志向するようになり、いつしかプロレス熱が冷めてしまったのですが。
最近、プロレスに関する2冊の本を読み、当時のことを懐かしく思い出すと同時に、25歳当時に憧れたプロレスラーたちを52歳現在の視点で見つめ直すことができました。
斎藤文彦「忘れじの外国人レスラー伝」(2020年、集英社)
田上明「飄々と堂々と 田上明自伝」(2023年、竹書房)
以下、概要と感想を簡単に記します。
1) 斎藤文彦「忘れじの外国人レスラー伝」(2020年、集英社)
ベテランのプロレスライターが日本で活躍した外国人レスラーについて記した本です。取り上げられているのは、次の10人。
”神様” カール・ゴッチ
”白覆面の魔王” ザ・デストロイヤー
”大巨人” アンドレ・ザ・ジャイアント
”人間風車” ビル・ロビンソン
”爆弾小僧” ダイナマイト・キッド
”人間魚雷” テリー・ゴーディ
”殺人医師” スティーブ・ウィリアムス
”入れ墨モンスター” バンバン・ビガロ
”皇帝戦士” ビッグバン・ベイダー
”暴走戦士” ロード・ウォリアー・ホーク
この時代めいた”異名”にワクワクしませんか?
まだインターネットで情報が飛び交う前の時代のこと。外国人レスラーについては、試合の映像はおろか、プロフィールさえ簡単には入手できません。雑誌やスポーツ新聞などの活字を追って、大いに想像を膨らませていました。「ステーキを10人前ペロリと食べた」「素手で牛を倒した」といったマユツバな逸話も、心のどこかで信じていた気がします。
10人とも、すでにこの世にはいません。長生きして後進の育成に心血を注いだ方もいますが、中には40代で亡くなったレスラーもいます。
長距離移動と危険な試合を繰り返す不安定な生活。子供が生まれても「出稼ぎ」の間は顔を見ることができない。ケガしたり商品価値が認められなくなったら食べていけない。肉体的にも精神的にも、決して楽ではなかったはずです。
私たちプロレスファンをワクワクさせてくれた外国人レスラー達に、改めて敬意と感謝の意を表します。
2) 田上明「飄々と堂々と 田上明自伝」(2023年、竹書房)
ジャイアント馬場率いる全日本プロレスにおいて、1990年代に「四天王」と呼ばれる4人の日本人選手がいました。ありきたりな日本人男子の名前ですが、プロレスファンにとっては、格別な名前であり、存在です。
三沢光晴
川田利明
小橋建太(当時は本名の健太)
田上明
80年代までのプロレスは、リング内外でのパフォーマンスや抗争劇で試合を盛り上げるのが一般的でした(正確ではないかも知れませんが)。
天龍源一郎などの人気選手が新団体設立のために脱退して、従来の興業が打てなくなったとき、ジャイアント馬場社長が打ち出したのが、「王道プロレス(実力至上主義)」「明るく、楽しく、激しいプロレス」「流血戦なし、反則なし、場外リングアウトすらなしの完全決着」でした。
抜擢された若い日本人選手たちは、リング上の肉体のぶつかり合いで観客を魅了することを要求されました。そんな時に「王道プロレス」を体現化していたのが、この「四天王」だったのです。
正直なところ、当時は田上明(タウエアキラ)という選手を、まったく気にかけていませんでした。華麗な空中殺法や複雑な投げ技をスマートに繰り出す三沢光春、熱血を絵に描いたような小橋建太の方が、応援しやすかったからです。この度、自伝を読んで、田上明の凄さ、カッコよさを初めて実感することができました。
特に、私がプロレスを離れてからの出来事--
・馬場社長が亡くなり、新社長となった三沢光晴と株主である馬場夫人との折り合いが悪くなって新団体「プロレスリング・ノア」に移籍。
・三沢社長が試合中の事故で急逝し、周りに推されて新社長に就任。
・社内の不正を正したり選手をリストラしたりなど経営改革に挑むも、ついに倒産(事業譲渡)。
・田上は借金を一身に背負って自己破産。
・宅配便バイトなどをしながら生活を立て直すも、がんを患い胃と胆嚢を摘出。
・以前より飲食店を経営していた奥様と一緒にステーキ店を開業
--というくだりは、私の経歴(新規就農。のちに廃業)や今の仕事(税理士として経営サポート)とも重なる部分があり、つい感情移入してしまいました。
今は家族やプロレスラー仲間に囲まれて、幸せに暮らしているそうです。「生まれ変わっても、また同じ人生がいい」とおっしゃっています。読み終えて、とても嬉しい気持ちになりました。茨城県牛久市のステーキ屋さんに、機会あれば行ってみたいものです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。