こんにちは。柏の葉税理士事務所の徳田大輔です。
本稿では、次の本を題材に、全日本プロレスと厚生年金に想いを馳せてみます。
渕正信「王道ブルース」(2022年、徳間書店)
1) 本の概要
著者は全日本プロレスに所属するプロレスラーです。1954年生まれなので、今年で70歳。最近はほとんどリングに立つことはないようですが、2023年9月8日には6人タッグを戦っています。
本著は、渕選手が1973年に入門して以来50年以上にわたって在籍する全日本プロレスについて著した本です。兄貴分のジャンボ鶴田選手といかに全日本プロレス全盛期の礎を築き、三沢光晴を初めとする後進をどう導き、選手大量離脱の折にはなぜ川田利明選手と2人で残留し、どのように苦境を乗り越えたのかを、淡々と綴っています。
2) 私が注目した箇所
私は1992年~1996年頃(20代前半)、熱心なプロレスファンでした。そして、当時30に余るプロレス団体の中でも、全日本プロレスが、大のお気に入りでした。
全日本プロレスは、ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田に次ぐ人気者、天龍源一郎が1990年に退団し、興業の危機に瀕していました。その時に奮起し、先輩スター選手や強豪外国人選手たちと激しい試合を繰り広げ、興業を活性化したのが、三沢光晴ら「四天王」たちでした。
私はまさにその「四天王」の激しいプロレスに熱狂していた訳ですが、当時の渕選手のポジションは「ジュニアヘビー級(体重が概ね100kgまでの、プロレスラーとしては比較的軽いグループ)の中堅レスラー」で、「時々若手の壁として立ちはだかるが、いつもはラッシャー木村、永源遥たちとコントのようなプロレスを見せる人」という認識しかありませんでした。
まさか、著者が三沢光晴を焚きつけて鶴田選手との対立構造を支えたとか、強烈なエルボーをけしかけたとか、フェースロック(顔面を締め付けて体格の大きな相手をギブアップさせる技)を教えたといった舞台裏があったとは、意外でした。
税理士の観点では、「四天王時代に初めて黒字を出し、日本テレビからの借金も返済してしまった」話が印象に残りました。ジャイアント馬場社長は、日本テレビとの関係が切れぬよう「借金を返済せずにおけばよかった」と語ったそうで、実際に、その数年後、日本テレビとの試合放映の契約を解消されてしまったそうです(全日本プロレスは大きな放映権収入を失ってしまいました)、。「銀行は晴れの日に傘を貸して雨の日に取り上げる(だから業績好調の時にお金を借りて、不調の時に返さなくても良い関係性を築け)」という言葉を思い出します。
3) プロレスから厚生年金保険を考える
著者はエピローグで、厚生年金保険について、次のように書いています。先述の「初めて黒字」の話と併せて、とてもいい話だと思いました。
「今、俺は2か月に1度、厚生年金を受け取っている。馬場さんと元子さん(注:馬場社長の奥様)がレスラーの老後のために、厚生年金の掛け金を払い続けてくれたおかげだ。(中略)ありがたい話だよな。」
税理士業務の中で厚生年金保険の話題が出ると、たいていネガティブなニュアンスとなります。「負担(支払額)が大きい」、「払い損」、「元が取れない」といった話ですね。まあ、著者は現役時代の報酬に比例して年金額も大きいでしょうと、やっかむ気持ちもないではないですが、事業主の苦労を偲んで年金に素直に感謝できるのは、素晴らしいことだと思います。
なお、厚生年金保険の被保険者が死亡した場合、生計を維持されていた配偶者などには、通常、生活に困らない程度の遺族厚生年金が永く支給されます(支給額は加入期間や保険料に応じて変動します)。
2000年に全日本プロレスを退団し、新団体プロレスリング・ノアを設立した三沢光晴社長は、2009年、試合中の事故により、46歳で亡くなりました。非常に下世話な話であり、かつてのヒーローに対して失礼ですらありますが、遺された家族のために、適正な役員報酬を受け、適正に厚生年金保険に加入していたことを祈るばかりです。
制度上の問題点がないとは言えない厚生年金保険ですが、「長生きリスク」と「早死にリスク」に全労働者規模で備えることができるのは、優れたシステムであるように思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。