こんにちは。柏の葉税理士事務所の徳田大輔です。
今日は「読書」について考えます。
題材とするのは、こちらの書籍です。
藤原正彦「本屋を守れ 読書とは国力」(2020年、PHP研究所)
1) アマゾンキンドルと私
4年ほど前に「アマゾンキンドル」を使い始めました。キンドルとは、アマゾン社の「電子書籍関連サービス」であり、電子書籍専用デバイスの呼称でもあります。
スマホやPCでもキンドルアプリを使えば読書できるのですが、私は専用デバイスで読むことが多いです。スマホやPCを使っていると、どうしてもメール、LINE、インターネットなど、他のアプリが気になってしまうからです。
朝刊の広告を見てすぐに購入、出勤の車中で読み始める、という感じで、読みたい本をすぐに読めるのが最大のメリットです。また、紙の本と違って保存に際し場所を取らないのも、本を買いやすくしてくれています。
反面、本棚の本と違って存在を自己主張してこないので、どんな本を持っていて、どんな本を読んだか、忘れがちになるのがデメリットです。たまに「ライブラリ」をスクロールして眺めてみると、「あれ、こんな本、持ってたっけ?」と驚くことがあります。今回取り上げる書籍も、「ライブラリ」から発掘して読み直したものです。
2) 藤原先生の主張
藤原正彦 お茶の水女子大名誉教授は、高校の授業で読んだ「若き数学者のアメリカ」(1977年)以来のファンです。「本屋を守れ 読書とは国力」はベストセラー「国家の品格」(2005年)の後、久しぶりに手に取った藤原氏の本でした。
この本で藤原氏は、次のように主張しています。
「小学校においては、一に国語、二に国語、三、四がなくて、五に算数。とくに読みが重要。感受性豊かなうちに多くの本に親しむことで、国語力、ひいては国力が鍛えられる」
「家族愛、郷土愛、祖国愛、そして人類愛。これを、この順に子供たちに教えることができれば、国際人の育成も不可能ではない。四つの愛を先生や親が教えることは難しい。子供たちが物語や詩を読んで感動し、涙と共に胸にしまい込むべきものだ」
「潤いのある社会をつくるのは惻隠などの情緒であり、情緒は読書や体験から生まれる教養から生まれる」
「デジタル本は記憶に残らない。(姿・形が)見えなくなるから、読んだことすら忘れてしまう。子どもにデジタル教科書とは犯罪的ですらある」
「ネット書籍による寡占を許すと、学術雑誌の例のように、必ず寡占してからの大幅値上げが始まる。価格決定権や編集権まで握られる恐れがあり、思想統制にまで繋がりかねない」
「駅前の本屋が消えていくと、中高生は本と出合う機会を失い、大学生も『専門以外の本も読まなければ』という強迫観念にとらわれることがない。結果として教養を身に付けるチャンスを逸し、大局観のない国民ばかりになってしまう」
3) 読書を習慣づけるのは簡単ではない
敬愛する藤原先生のご高説に、耳が痛いです。デジタル本のお陰でこの本を読み返すことができたのは皮肉ですが、本屋がなくなり、子どもが本を読まなくなり、読書しない大人が増えているのは確かでしょう。
とはいえ、読書を継続するのは、簡単ではありませんよね。私もテレビドラマやゲームにハマった時期、転職して忙しくなった時期、資格試験に挑戦している時期など、本を極端に読まない時期が断続的に巡ってきます。独立開業した今でこそ読書時間を確保できるようになりましたが、勤務時代は起床から夕食・入浴後までは全く余裕がなく、就寝前に時間を作れるかどうか、という状態でした。
また、子どもに本を読ませるのも、難しいものです。子どもたちに読書の習慣を植え付けようと、4歳頃まではよく図書館から借りてきた絵本を読んでやったものですが、働き始めてからはなかなか継続できず、小学生になった今では、私が借りてきた児童文学には見向きもせず、ゲームやパソコンに夢中です。ツタヤのレンタルコミックを借りてくると、子ども向けのナンセンスギャグマンガは100%、私が読ませたいマンガは50%くらい読みます。まあ、マンガでも読まないよりはマシかと嘆息しています。
なんとも冴えない締めくくりですが、日本の文化を守るためなどという大それたものではなく、自分の勉強と楽しみのために、読書を続けたいと思う次第です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。